鼻をくすぐる芝生の匂い、水色の空。空っぽになった紅茶のペットボトルを ぶんと振って、見えないボールが飛んでいくのを見届けていたのちは眩しそ うにしていた。放り投げてくれたペットボトルは風に乗ってふわあと構えて いた両手を逃げていった。ドライブの途中、「図書館」の表示に寄らずにい られなくなった。知らない町の図書館へ行くのが好き。こんなふうに図書館 の隣に偶然みつけた公園で走りまわるのも大好き。

舞鶴にでも行っちゃうか、とのち。黄色いカーテンが光を吸い込んで白く光 っているのを見て、うんって笑った。カーテンを開けなくても、光で、音で 晴れてるのがわかった。大好きな曲をオリジナルCDに詰め込んで、カメラは 充電いっぱいにして、お気に入りのスカートで。突然の約束ってわくわくす る。こんな晴れた日だと、もっと。

大通りは子午線沿いに北上しているみたい。舞鶴はのちが高校を卒業するま で住んでいた町。目をこするたびに「さやちゃん疲れてるんだったら引き返 そっか」なんてのちは言ってくれたけど、のちが住んでいた場所を見てみた いなあって心から思ったので、だいじょうぶって笑った。見慣れた景色が広 がったのかのちの声が少しだけ高くなって、それが嬉しかった。

大通りを少し外れて、街灯の明かりを頼りに山道を少し上ったところ。ここ が俺ん家、とのちが笑った。庭には瓦が積まれてあって、いま屋根を改装し てるらしいんだと教えてくれた。玄関のドアの向こうがぱっと明るくなって、 ほんとに来たんねえ、と少し高い声がした。のちのお母さんは目元がとって ものちにそっくりだった。

居間でのちはどの席にいつも座っていたのかなあ、とか、きっと部屋をいつ も散らかしていたんだろうなあ、とか。ひらがなで書かれたのちの名前の上 には恐竜みたいな動物の絵があった。のっちのだ、と言うとのちが頭を撫で てくれた。ここでのちは育ったんだなあって、走り回っていたんだなあって 思ったら何だか頬が緩んだ。来てよかった、と思った。

いっぱい食べ物持って帰ってよ、とお米だとかジュースだとかを車に乗せて くれた。ありがとうございました、と言って車を走らせて少ししたときのち の携帯に着信があった。「大通りに出るまでの道、先に車で走って案内して くれるって言うてる。俺道わかるんやけど、たぶんおとん来たいんやと思う、 てかさやちゃんのこと気に入ってるんやと思う」と、のち。くすくすと、じ ゃあお願いしようかって笑った。

フロントガラスから満天の星空が見渡せた。神戸でのちと出会えて、こうし てのちの育った舞鶴で星を眺めて。たぶんとっても素敵なことだね。私は大 学生ののちしか知らないけど、制服で自転車に乗って坂道上っているのちを 思い浮かべることができたよ。走り回っている小さなのちを思い浮かべるこ とができたよ。大学でのちと知り合えて本当によかったって、思ったよ。

3月19日(日) 晴れ

 

お気に入りのカフェのいちばん奥の席。スタンドライトの小さな明かりがの ちの左頬をほんのり照らしていた。白熱灯の明かりはとっても優しい。カフ ェだとか雑貨屋さんは女の子のお店って感じがするから苦手だ、と言ってい たのに、リラックスしたのかすう、と寝息を立てていた。テーブルに備えら れていた小さなアンケートを書こうとグラスをずらした。そうっと、のちが 起きないように。

大切な人と、の欄にまるをした。いつか家族でどこかの定食屋さんへ行った ときにアンケートの「どなたと来店されましたか」の欄に小さな憧れを抱い たのを覚えている。のちもこんな想いしたことあるのかなあ。面倒くさがり ののちはアンケートなんて手に取らないかなあ。ボールペンをかちかち、と 何度か押した。同じカフェでもお昼と夜とではこんなに雰囲気が違うんだな あって見渡していたら、店員さんと少しだけ目が合ってしまった。

*

薄い皮を剥いたいよかんをひとくち食べさせてくれた。おいしい、と言うと これもたぶん甘いよ、といよかんを野球ボールみたいに手の上で転がしてい た。いよかんの皮を小さなお皿にして、薄皮を剥いたいよかんをひとつひと つその中に入れていた。のっちゃんて好きなものを後に残すほうでしょ、と いうと、その通り、と笑っていた。いよかんってこんなに甘くておいしかっ たんだなあ。

大人っぽくシンプルなほうにしようと思ったけどやっぱりこっちのにしてよ かった、とのち。小さな花の飾りがかわいいネックレスはのちからの誕生日 プレゼント。そうっとのちが手を伸ばしてきたので、いよかん触った手で触 っちゃだめと言ったら、なんだそりゃ、と笑ってた。ふわふわのパーマに、 ふわふわのスカートに似合いそうなネックレス。ありがとう、大切にするけ んね。

3月9日(木) 曇り

 

三宮へ向かう電車から、須磨の海岸を窓いっぱいに見渡せる瞬間が好きだ。 ぽかぽかと日差しがやわらかくて、優しい空の色を含んだ海が揺れてた。運 転していると海を見る余裕がないから、こうしてゆっくりと電車に揺られる 時間も大切にしなくちゃ。快速を使わないと待ち合わせに間に合いそうにな かった。晴れた日は普通電車のスピードが一番心地いいこと知っていたの に、なあ。

古びたビルの階段を上ると、どこからかオルゴールの音色のようなものが聞 こえた。小学校の教室を表すような札が貼られていて、きい、とドアを開け ると可愛い雑貨が部屋中に飾られていた。好きそうだと思って、とパルちゃ んが教えてくれた雑貨屋さん。これかわいいと手に取るたびに、同じもの見 てたってパルちゃんが笑ってた。服や雑貨の好み、ほんとに似ているもんね。

ビルの中には小さな本屋もあった。インテリア、デザイン、絵本、ヨーロッ パ関係のどこか個性的な本が多く揃えられていた。手毬の写真集(パラパラ 漫画みたいに一枚いちまい写真が違って手毬が転がっていくように見える)に 惹かれてふたりでくすくす笑っていたら、お店の方が「この写真集可愛いか らこうやって店番をしていても見てしまうんです」と笑っていた。

お気に入りのカフェへ向かう途中、赤い屋根をみつけた。ケーキセット、と メニューに可愛く書かれたその文字にふたりして惹かれたみたい。ここにし ようかと少し急な階段を上ると、アンティーク家具で統一されたとっても落 ち着いた雰囲気のカフェがあった。焼きたてなんです、とおすすめされたア ップルケーキをオーダー。平日だから2種類選べるみたいで、もうひとつは ミルクレープに。

そうっと注いたミルクはカップの底を早送りした雲の流れみたいに広がって いった。いつだったかお母さんとお風呂に入っていたとき、温かいお湯ほど 上へいくことを教えてもらったなあ、なんて思い出した。時間の流れをゆっ くりと感じることができるのは、カフェのおしゃれな空間がそうさせている のかなあ。ひとつひとつの会話を大切にできるから、いちにちの中でこのと きが一番好きかもしれない。

*

お昼前の日差しがやわらかい。お箸の先がお皿にあたる音。やっぱりこうい うのってしあわせだなあ、と向かいの席でのちが笑っていた。よく焼いたベ ーコンと小さめに切ったじゃがいもを使ってジャーマンポテト。ベーコンの 味とか匂いって朝ごはんて感じがするよね、とのち。ごちそうさま、と重ね た食器が真っ白なことに喜んでいたらおいでと両手を広げてくれた。

3月8日(水) 曇り

 

Back