温めてもらったホットサンドを見て、隣に座られていたおじいさんが「お。 それ美味しそうやなあ」と笑っていた。少し驚いたけれど、その隣にいた女 性がくすくすとまた優しく笑っていたので、私もくすくすと笑った。来春か らの就職先で、最近はお手伝いとして少し働かせてもらっている。会社へ行 く前にこうしてスタバでほっと一息するのが、楽しみのひとつ。

電車に揺られてだと、文字もどこか揺れてしまう。いつかリクルート用の鞄 を机にしてこれを書いたなあ、なんて揺れた文字を見て想いに耽る。ふと視 線を感じて隣を見ると、先ほどのおじいさんがまた私を見ていた。わたし、 というよりも、私の両手の中にあった赤い手帳を見ていたよう。

「若いひとにしては、とても丁寧に文字を書かれているのですね」と、また 笑顔を向けてくれた。それは突然で、とても照れくさくて、素直に喜べずに ぱっと手帳から両手を離してしまった。「私の父は書道家でした。昔から字 を見慣れてきましたから、一字一字大切にしているかそうでないかはわかり ますよ。」と。

丁寧に文字を書くことを教えてくれたひとがいる。それ以来、大切にしてき たこと。凛と姿勢を正して、漢字は大きく、ひらがなは小さくやわらかく。 ただそれだけだけれど、大切にしていた。そのことをこうして、ふとしたと きに温かく認めてもらえると、とても嬉しい。

握手を交わしたそのひとは、翻訳家の方だそう。本のことを伝えると、「い つかまたあなたが本を出すときには、優しい筆跡そのままを伝えられたらい いですね。あなたの文字で。」と笑っていた。想いを、読まれたのかと思っ た。レシートの裏、小さなサイン。大切なものが増えてゆく。

文字を綴るときに、想うひと。あなたを想うととても心が穏やかになるので す。

7月24日(火) 晴れ

 

一眼レフのカメラを、それらしく構えてみる。持ち方が違うよ、と笑われた けれど、独特のこの重さがしっくりと両手に馴染む。やんわりと陽の届く、 ビルの4階。アイスを添えたガトーショコラを前に、おしゃべりを弾ませる 女の子はとても可愛い。カメラの向こう、笑顔がふたつ。一眼レフのいいと ころは、私の見たままに写ること。

一度訪れたことのあるカフェや大学に所縁のあるスタッフがいるお店を、学 内新聞に載せる記者となってもうすぐ1年。好きなことをさせてもらえて、 モデルになってくれた友人に「これに載りたいっていう夢、叶えてくれてあ りがとう」と感謝をされて。とても幸せな仕事だな、と思う。甘い匂いと笑 顔に囲まれて、気分も幾分穏やかに。

*

早朝の、ひとが疎らな車内。いつものスクリーンには、靄のかかった海が広 がっていた。新聞を広げているひと、瞼を閉じているひと、瞼を閉じている ひと。朝から背筋を伸ばしてしゃきっとしていられたらきっと素敵なのだけ れど、私も瞼を閉じて体を預けてみる。海を見渡せる席にせっかく座れたけ れど、きょうはもう少しこのままで。

「朝番の日は、とても好き。起きるのは相変わらず苦手だけど、開店して、 お客さんが入ってお店が賑わっていくにつれて、私も起きていくっていうの かな。こう、ね」と、手を真っ直ぐに伸ばして笑っていたひと。いつも夜に 働いていたから、こういった清々しさがとても久しぶり。私も彼女に合わせ て、両手を伸ばしてみた。

朝から珈琲の香りに包まれて、しゃきっと背筋を伸ばして仕事に向かおうと 店を後にするひとの背中を見て。とても幸せな仕事だな、と思う。初恋の人 との想い出のお店で、緑のエプロンを纏って。誰かにとっての大切な初恋の お手伝いを、ここでならできるかもしれないな、なんて。

心を込めて、一杯の珈琲を淹れよう。この仕事が、とても好きです。

7月22日(日) 曇り

 

注がれるミルクはもくもくと、珈琲の中で雲を描いているみたい。目を閉じ て薫りに浸ったあと、母は優しく笑う。忙しい朝でも必ず大きなマグがテー ブルの上にふたつあった。母が台所へ行っているあいだにスプーンにそうっ と珈琲をのせて舐めてみたけれど、母みたいに上手く笑えなかった。そんな、 いつかの朝。

珈琲は平気?と訊かれて、はい、と素直に笑えるようになったこと。「ただ“お いしい”だけではなくて、香ばしいだとかチョコレートにとても合いそうだ とか、自分の言葉で表現できるようにね」と社員の方がくすくすと笑ってい た。目を閉じて、薫る。私の言葉で、かあ。

「引っ越してきたばかりの頃と、今と、同じ街並みなのに景色が違って見え ない?匂いとかも。」と、助手席でえだちゃんが窓の外をほうっと眺めなが ら、ふいに呟いていた。慣れとは、とても素敵だと思う。根を張るように、 沁み込むように。走り慣れた、すうっと伸びる下り坂。木漏れ日と呼ぶには すこし草木が疎らすぎている、眠たそうなこの一本道が、私はとても好きだ。

えだちゃんと知り合った居酒屋さんが移店しまって、ふた月が経った。帰り 思い出に耽ることのできる場所はないけれど、ともに過ごした時間があるこ とは、とても心強い。須磨の海岸で、寝転がって流れ星を見た夜のこと。あ のときは私が助手席だったなあ、というと、「あ、私そのあと実家帰る予定 あったのに、朝まで皆といた日だ」なんてえだちゃんが笑っていた。

窓から左手を伸ばして感じたあの日の風をも、思い出すことができるような 気がした。かけがえのない思い出は、大切な誰かと繋がっていること。これ からを語ることも好きだけれど、こうしてときどき、目を閉じて余韻に浸る のも好きだ。

目を閉じて、薫る。そのときほうっと浮かんだのは、いつかの朝。母がテー ブルに並べていたマグを、浮かべた。今なら母みたいに、優しく笑えるかな。

7月9日(月) 雨

 

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