東側の窓はうっすらと擦りガラスになっていて、光る朝の粒はとても綺麗だ。 このことに気付いたのは、ついふた月前のこと。もう3年以上も暮らしている のになあ。終わりを感じると、途端に愛しくなる。生成り色を基調とした、 淡い部屋。毎日のように焚いていたバニラのアロマオイル、いつしか部屋自 体がそれを纏っていた。

夕方過ぎの、ゆったりとした店内。端っこのソファ席で、真新しい参考書を 広げる。初めて折り目を付けるとき、少しだけ意を込めてみる。ひとつ前の 秋も、こうして意を込めた。これからしばらくのあいだ、私の鞄に居座ると びきりの相棒になるのだから。秋の終わりの検定、目標があると途端に張り 切ってしまう。

珈琲の香り、歌詞のない唄、先の細いボールペン。首を傾けて目を閉じると きだけ、愛しいひとを想って。これらがあるだけで、すうっと集中できる。 あの分厚い参考書が、まあるく癖付く頃には形になっているといいな。

*

とととん、と玄関を敲くおと。くすくすと笑って、ノブを手に取る。熱った 頬を包む大きな手はひんやりと冷たかった。のちの手は、季節を伝えるのが とても上手みたい。外の空気をひんやりと纏った、のちの香りがとても好き だ。寒いなか会いに来てくれたんだって、何だかとても、優しさを感じるか ら。

9月30日(日) 曇り

 

指先で袖の縁をたどって、目を閉じて香る。朝方纏ったいつもの香りは、こ うして想いを寄せる時間になると、ほんのりと好みの香りに。パーカーの優 しい肌触りは、とたんに人恋しくさせるよう。ひんやりと、しっとりと頬を くすぐる夜の風は、忘れかけてた秋の想いを乗せていた。

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名の響きがとても柔らかい、私の友人がもうすぐ長く旅立つ。彼女と会うの はいつもとっぷりと暮れた夜だった。小さな体で大きなギターを抱えて、大 きな笑顔でとても気持ちよく歌うひと。深夜、ともに夢を語ってばかりいた。 寝転んだ砂浜、早足で駆けてく千切れた雲、真っ暗な空のしたに響く笑い声。

助手席にあなたを乗せて月に一度、ひたすら西へ向かう夜が好きだった。響 く歌声、真っ直ぐに伸びるハイライト、ハンドルから手を放して何度も拍手 を送った。記憶と音は繋がっていることを、教えてくれた。旅立つと教えて くれたあとの小さなライヴ、「スーパースター」。曲を聴いて本気で泣いた のなんて初めてだった。

いつか語った夢を、お互いに叶えようとしているね。これから夏に向かうあ なたに、心からのエールを送ります。大学時代最高の友であるあなたが、と びきり素敵な笑顔でただいまと歌ってくれるまで。

9月29日(土) 曇り

 

私が傍にいると思えば大丈夫、と笑ってくれたひとがいた。彼女がその言葉 に想いを込めてくれていた分だけ、もう何年も、それは私を支えてくれてい る。思い出すたびに彼女は笑顔だ。誰かにとって、私は笑顔に映るのかな。 最近は、誰かの前で泣いてばかりいるように思う。

心を満たすのは、あの手紙と、母の声。声を聞くだけで泣きやむだなんて、 子どもだって笑われるかな。とても丁寧な字で書かれた“大丈夫”の文字は、 おまじないみたいに心を穏やかにさせる。大丈夫、大丈夫。何度も繰り返し てきたこと。もう、大丈夫。

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緩やかにカーブする小さな道には、昼過ぎのやわらかい木漏れ日がそうっと 降りていた。雲のかたちが、優しくなった。この町に来て随分と経つのに、 この道を好んで走るようになったのは最近のこと。たった一曲分だけれど、 贅沢過ぎるくらいに心地良いドライビングコース。緩やかに、気持ちも幾分 穏やかに。

曲がフェードアウトするのを聴いて、エンジンを切る。そうすれば次に車に 乗るときに、気持ちよくスタートできるから。たったそれだけだけど、車を 運転するようになってから続けてきたこと。心に、時間に余裕を持つこと。 ノートの余白に大切な想いを落書きしたみたく、余裕を持つと、大切な何か に気付けたときそれを存分に愉しめるはず。

なんて、心持ちだけでも、緩く穏やかにいたい。そうすれば、また会いたい って笑ってもらえるような気がして。募り募る想いを、心に秘めて。

9月9日(日) 曇り

 

朝の中できっと、母は「もう9月ね」と笑っているのだろうなあ。とても賑 やかとは言えないけれど、ゆるりと繰り返すその朝がとても好きだった。カ レンダーをめくる音、爪を切るおと。静かだから、そのひとつひとつが部屋 に響く。深く目を閉じると、ときどき、錯覚する。金具の軋む、実家にある 古いベッドで眠っていたのかと慌てて目を覚ますときがある。

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お昼過ぎの小さな町は、とても静かだ。連なる家々の屋根の色が、緩い坂道 の中で映えている。淡い色をみると、とたんに絵筆を持ちたくなる。遠い町 ほど、たっぷりと水を含ませて。てるてるぼうずみたいに丸めたティッシュ に、白と水色の絵の具をまぜてぽんぽんとたたく。空の色は、いつもそうし て塗っていた。

仕事のあと、眠たそうなその緩い坂道を歩く。少し日に焼けた肌をくすぐる 風は、とても穏やかだ。珈琲の香りに、大切なひとを想って。喫茶店とは語 らいの場と喩えると、いつか読んだ本にあった。友達同士で語らう、店のマ スターとの会話を楽しむ、あるいは自分自身と対話する。誰かと、あるいは 何かと語らいを愉しむ場であると。

ぽかんと、久方ぶりに空いたそのいちにちは、あの静かな朝に会いに行こう と思う。離れてよかったのは、会うたびに優しく接することができること。 丸めた画用紙、いつかの空を描いた古い絵を見たくなった。おいしい珈琲を 淹れるよと言えば、笑ってくれるかな。

9月5日(水) 晴れときどき曇り

 

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