時計の針の音に耳をあずけて目を閉じると、鼓動とそれがだんだんと重なる よう。好きなひとを想って、ときに涙して、思い耽るときいつもそうして机 に伏せてた。自然と心が穏やかになって、心地良く瞼も重くなって。「赤ち ゃんはね、お母さんの心臓の音に合わせて、とん、とんと撫でてあげると安 心して眠れるみたい」と、いつか母は幼い妹を撫でながら笑っていた。

その腕時計は、ベルトが細く長い皮でできていて、手首に二度巻くかたちに なる。その手間が何だか愛しくて、憎めなくて。リンと響くあのペンダント と同じくらい、大切にしているもの。慌しい朝にも、その手間をゆるりと愉 しめるように。古い文庫本ととても相性がいいのか、鏡の前よりも本棚に置 いて眠るときのがどこか誇らしげに時を刻んでいるように思う。

*

雨上がりの空の、優しい水色。フロントガラスの向こう、とても雲が近くて、 流れる様子をふたり笑った。久美ちゃんとこうして話すのは、実はとても久 しぶりのこと。マネージャーを互いに引退してから随分と経ったけれど、あ の時過ごした濃さは褪せない。仲間が、きょうの試合を最後に、引退する。

芝生の緑に、ユニフォームの赤が映えていた。曇り空を破るように、人差し 指を空に掲げる。部員さんたちの地響きみたいな低い声はずんとお腹に響い て、それを聞くといつも身震いがした。あのときも、きょうも。スポーツの 楽しさを教えてくれたのは、間違いなく彼らだ。

「コーチがな、誰か大切なひとのために勝つって思うんや!って言うてくれ たんや。そのときに、いちばんにゴッチが思い浮かんだんやで」

彼にとって初めての試合を明日に控えた放課後、無邪気過ぎるほどの笑顔で 伝えてくれた。あの秋から、3年。ふいに私を赤くさせたひとことを、彼は 覚えているのかな。フィールドに力強く咲いた笑顔、舞った拍手。とびきり のおめでとうと、お疲れさまをあなたに。

10月27日(土) 曇り

 

遠い国のコインと、小さな傷の入ったプレートと、いつか薬指にしていたリ ングと。それらを重ねたペンダントを胸に灯すと、とても心が落ち着く。僅 かな重みが、とても。いつもそれ大切にしているねって、私にとってとびき りの誉め言葉だ。古い金属の擦れるおと、時折高く、リンと響く。

私の指さしたものを、迷いもせずに「じゃあそれで、」とのちが笑うので、 ふいを突かれたようにどきりとしてしまった。仕事先に大切なひとが来ると、 心なしか声が少し高くなってしまう。相変わらず余韻を持たずに彼はすぐに 席を立って、手を振って出て行ってしまったのだけれど。

二方がガラス壁だと、朝と夜では表情がとても変化する。夏は、目を細めて しまうほど白い光がとてもよく似合っていた。ほうっと、のちがお昼に頼ん でいたのと揃いのキャラメルマキアートに温まりながら、想いを寄せる秋は 静かな夜の色がとても似合うなと思った。

ひとは光に集う。憧れを抱いたり、心を休めたり。夜のガラス壁に映るのは 店内に灯った淡い光。とても綺麗だ。癖のついてきた参考書、そうっと手に 馴染む。去年の今頃も、あったかい珈琲を両手の中に、こうしていた。努力 は形になること、去年の私が教えてくれている。負けられない、なあ。

ひとが頬染め笑うよに、木々が麓に向かって染まりゆく。季節の移り変わり、 朝と夜の表情。それらの変化を結ぶものが、とても好きです。それはとても 曖昧で、ふっと何かに気を取られているあいだになくなってしまうくらい繊 細で。いつもそれらに気付けるように、心穏やかでありたいです。

10月14日(日) 曇り

 

履き慣らしたローファー、辿ると、長く真っ直ぐ伸びる影。遠い踏み切りの 音に笑って、うろ覚えだった流行りの曲の、サビだけを繰り返し歌っていた。 枕木を伝って、錆の目立つ古い駅へ向かう。振り返ると、やわらかい笑顔が 私を向いてくれていた。いつもあった、帰り道。彼女が春に、結婚する。

彼女の淡い恋の始まりを、私は傍で見守っていた。ひたむきに誰かを想うこ との温かさだとか愁いさだとか、素敵さだとか。時を経るごとに深くなるこ とだとか、一途でいることの強さだとか。一度も茶に染めたことのない彼女 の髪はとても艶やかで、それは誰にも真似することのできない、彼女の魅力 だった。

涙が出た。ひとを想って涙を流すのは、多々とないこと。とても幸せで、と ても温かくて、とても。目を閉じて、思い出す。陽の届く廊下、静かな放課 後、窓の外に目をやり頬を染めていたあなたを。遠い踏み切りの音、笑い声。 電車にゆらり揺られて、笑う。とても賑やかとは言えないけれど、繰り返す その静かな帰り道がとても好きだった。

来たる春、私はあなたにどんな言葉を贈ろう。この、満たされた心を、どう やって伝えようか。心から、おめでとう、あゆ美ちゃん。

*

プレゼント、とだけ書かれたのちからのメール、添付されていたメロディ。

♪ わたしはここにいるよ
  どこもいかずに待ってるよ
  ...
  どんなに遠くにいても変わらないよこの心
  言いたいことわかるでしょ?
  あなたのこと待ってるよ

 「ここにいるよ feat.青山テルマ」 Soulja

春からの就職先、転勤の可能性があるのちと、勤務先が大阪だと決まってい る私。春からのことを考えるのは、時折苦しかった。電話をしていてもつい、 刺々しく当たっていた。不安をぶつけてばかりいて、ごめんね。らしくない とても温かいメールに、また目の奥がぐうとなった。きょうは、泣いてばか りだ。

一途に、あなたを想う。時折苦しいけど、それはとても大切だから。とても とても、あなたが大切です。

10月8日(月) 曇り

 

誰かが水にそうっと浮かべたみたいに、雲が列を成して浮いていた。「絵に 描いたような空ですね」と、テレビの向こうでアナウンサーが笑っていた。 「昨晩の雨が、空気中のホコリを洗ってくれたのでしょう。とても、澄んだ 空です。」同じ空を見て、何人のひとが笑顔になっただろう。きょうの空が、 とても好き。

春に初めて顔を合わせた7人。春からは、毎日顔を合わせる7人。責任感の重 さの分だけ、仲は濃ゆく濃ゆくなるような気がして。7の持つ不思議な意だ とかパワーだとかを、彼らとなら全て味方にできるよう。金曜の夜、貸切の 大会議室、途絶えない笑い声。赤ら顔のサラリーマンたちを横目に、7人で 並んで駅へ向かう。

これから先、不安になったり何かが崩れたり、また涙を流したりするかもし れない。だけど、自身の選んだ道を否定することだけはしたくないな、と思 う。大丈夫、だから。いつか不安に思うことがあったら、きょうの笑顔を思 い出そう。まだ知り合って半年と少しだけれど、この居心地の良さがとても 好きだ。

1時間と少し、終電前の列車は少しばかり浮ついているようだ。帰宅ラッシュ も過ぎた深夜、ゆったりと座れることに幸せを。手帳を開いて、きょうのこと を綴る。この時間のために、電車通勤できる町に新しい家を探してもいいな、 なんて。忙しい毎日でも、この時間があるだけで、笑顔で眠ることができるよ。

*

偶然できた休日、片道分のバスのチケット。あの朝に、会いに行こう。ねえ、 早朝の夜空がとても綺麗だと知っていた?爪の先みたいに細い月、ベランダ の手すりはひやりと冷たい。想いを寄せるには十分すぎるほど、とても静か な朝だと。

10月5日(金) 晴れ

 

Back